26th TFTS (T-38A/F-5E)
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ベトナム戦争初期、米空軍は空対空戦闘で歴史上初めての負け越しを経験して、従来の重戦闘機路線、戦闘爆撃機重視に変更を迫られた。ベトナム戦争中盤以降、F-4ファントムの空対空能力を強化して、何とか空対空戦闘をほぼイーブンまでは持ち込んだが、太平洋戦争、朝鮮戦争と空戦では大勝をしてきた米軍が、新鋭のMig-21どころか、一世代古いMig-19にも毎回のように叩き落される等の屈辱を味わい、自軍の高価な重戦闘機群(F-100/F-105/F-4)の戦い方を見直す必要があるのは明白だったのだ。
 其の為、米空軍ではほとんど使われなかった軽量のF-5Eを訓練用として大量に採用する必要が出てきた。海外販売用のものまで買い戻して機数を揃え、自軍の戦闘機パイロットに運動性の優れた軽量戦闘機との戦い方を教えて行くことになる。
 嘉手納やクラークそして朝鮮半島に配備されていた当時の米空軍機は全てF-4C/D/E ファントム戦闘機で、彼らへの空戦教育は喫緊の課題だったのである。 

↑ 1981年1月にクラークで撮影された26th TFTSのF-5E。Modex16/Modex13共に、当初クラークに派遣された時のオリジナルカラーを維持しているが、気になるのは後方にジュラルミン肌のF-5Eが駐機していることである。この機体は、ウィリアム空軍基地425th TFTS所属のF-5Eであったが、極東に移動した記録は見当たらない。
(75-0617)
撮影した本人からは聞いていないが、この写真は後ろにF-15が写っている事から 1980年以降のものである。この部隊、後に18th TFWに移管され1990年に解体されたが、それまでに各機体迷彩パターンを換え,より複雑な迷彩塗装に変更されている。この様子はイラストも交え少しずつ紹介したい。写真は、グレー系の”ゴースト”17で 機種番16.17がこの迷彩だった。ネリスでも一番多い迷彩パターンで 機数を多く所有していたが、迷彩効果が一番よかったのかもしれない。
(74-01562)
嘉手納基地内で撮影されたF-5E
26th AS リザード62である。この頃確認できた機体は、5種類の迷彩がそれぞれ2機ずつだったので フィリピン・クラーク空軍基地には計10機のF-5Eがいたはずである。私個人的には、ブルー系迷彩の”パッチーズ”とこの写真の”リザード”が最も美しいと思っている。
実は、これらF-5Eの中には、元ベトナム空軍への売却品も含まれている。1975年北ベトナムに占領されそうになっていた旧南ベトナムの空軍基地からなんと101機もの航空機が空母ミッドウェイに積まれ、アメリカ本国に戻っている。この中には、ヘリやA-37地上攻撃機、F-5A、F-5Eが含まれ、特に共産軍に渡る前に回収しておきたかったのが、新鋭のF-5E戦闘機だった。F-5A 3機、F-5E 22機が米空母USSミッドウェイの甲板に積み込まれ5月にグアムに到着している。この内 F-5Eの多くは、アグレッサー部隊に回された。上の62号機もその1機である。
↑ 同じく1983年6月クンサン空軍基地で撮影された26th TFTSのF-5E、Modex14/15は何れもシルバースキームだったが、14番は15番機以上に茶系のスプレーで上書きされており、別のスキームと見間違える程である。
↑ 1983年6月朝鮮半島のオーサン空軍基地で撮影された26th TFTSのF-5E。ジュラルミン肌のシルバースキームから茶系のスプレーを全体にかけられて 汚れた感じとなっている。
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↑ 1979年6月 初夏のDACT訓練を終わり、4機でフィリピンのクラーク基地に帰投するF-5E Tiger-Ⅱ、左手からからリザード、シルバー、ゴースト、パッチーズの迷彩パターンが並ぶ。